新家 月子のつぶやき日記  その9

 まさに激動の年になった去年に引き続き、波乱の一年になりそうですが、ゆるゆると呟いて行きます。たまにお休みすることも有ろうかと思いますが、暖かい目で見守ってくださいませ。

2021年12月31日

さぁ、今年も今日でお終いです。小雪舞う中を蕎麦屋まで行ってきました。年末らしい寒い日です。職業柄、正月がないので一足先につぶやき日記を書いておきます。来週はお休みします。

 さて、総合病院という所には、365日、24時間やたらと人が働いています。まずは医者と看護師、救急救命士。続いてソーシャルワーカーに看護助手、薬剤師、検査員、レントゲン技師等の各種専門技師、医療事務、事務員。さらには病室のテレビ台専用の清掃員、床やトイレの専属清掃員、医療物品等の納品部従事者、シーツ、制服類の洗濯業者。とにかくたくさんの人がいます。今、ワクチン接種の対象で言う医療従事者には、もしかしたら食堂のコックさんや、売店の売り子も対象になっているのかもしれません。一様に医療従事者とひとくくりにしていますが、実に膨大なのです

 そういう中で働いていると、一日中挨拶の交わしっぱなしです。皆、病院と言う大会社の同僚のようなものです。廊下ですれ違う時、階段ですれ違う時、必ず「お疲れ様です」と交わします。長い廊下を端から端まで歩けば、十回程度挨拶する、と言えば判りやすいでしょうか?例外は、とんがっている一部の若い医者や女医ぐらいで、とにかく四六時中、挨拶です。今では身に沁みついしまい、実生活でも、駐車場や歯医者の受付、レジでも、ついつい「お疲れ様です」と言ってしまう自分がいます。挨拶が薄っぺらいものになっていることは否めませんが、大事であることは重々感じています。まずは挨拶から、とはよく言ったものです。

 今年は本当に良く挨拶した一年でした。来年は何回、挨拶を交わすことになるのでしょうか?そして、どんな年になるのやら、想像がつきません。 

 ただ、コロナだけは終息しているような気がします。

 皆さん、良いお年を。

2021年12月25日

 今日はクリスマス。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

 上皇様の誕生日が23日だったために、クリスマス前に祝日がありイベント感が増していたクリスマスイブも、天皇陛下の代替わりによって消滅してしまい淋しい限りです。師走の慌ただしい時に、祝日の一つもないなんて現役世代にはつらい月となってしまったのでした。

 さて、「青春は若い奴らにはもったいない」(byバーナード・ショー)と言いますが、全くその通り。輝いている短い期間を、当事者たちは自信もなく、悩みもがき迷い、十分にその期間を楽しむことなく過ごしてしまう。もしくは、時の貴重さに気付かずに無為に過ごしてしまいがちです。特にクリスマスシーズンはあれこれと想像し、気を揉んで過ごしたものです。今の私なら、年を重ねて自分自身を知っているし、問題の解決方法もわかっている。何が自分にプラスで、何が正解かを十分わかっている。あぁ、今のままの知識と経験をもったままあの頃に帰りたいと願うのは誰しもが持つ永遠の欲望です。

 年末になると、なんとなく過去を振り返るような気持ちになります。今、再びの青春!とばかりに弾けている高齢者もお見かけしますが、やはりそこには未熟ゆえの悩みや迷いは無いわけで、成熟した軽薄さ嫌らしさが垣間見えるのです。

 たとえ新地で盛り上がっても、それはギラギラしているだけで、決してキラキラしていないのでした。残念。

 

 久しぶりに花束を頂いたので薔薇だけ写真に収めました。

2021年12月18日

前回、三回目のコロナワクチンの副反応は軽そうだ、と言うようなことを書きましたが訂正します。実はあれから三日間発熱に悩まされました。接種の夜には肩から指先までの激しい痛みと38.5℃の熱で目が覚め、慌てて薬を飲み再び就寝。翌日は、薬の効果が切れかけた10時頃から熱が出始めて、昼休みに薬を服用。その後も薬の効果が切れると発熱するのを繰り返して、三日目でようやく収まった次第です。でもこれ、確実に体内に抗体ができている証拠なので、熱に悩まされつつも「よし、やった」とにんまりしていました。皆さんも、副反応を恐れず、三回目に挑んで下さい。

 さて、私の勤める病棟の一つが泌尿器科なので、年に何度も腎移植を行います。その中でも“献腎移植”というものがあります。いわゆる心停止や脳死の方から、臓器を頂くということです。日本ではあまり普及していないため、腎不全に苦しむ多くの患者さんは、主に配偶者や両親をドナーとするのですが、だれもが適合するわけではありません。週に三回程透析を受けながら腎臓を待っている患者さんが山ほどいるのが現状です。

 完全に死亡した後の献体の希望者は多くても、脳死や心停止状態での臓器提供希望者はまだまだ少ないのが実情です。皆さん、自分の保険証の裏を見て下さい。簡単に自分の意志を表明できます。

 歳末は何となく、他人の境遇に思いを馳せる時期です。ちょっと考えたいですね。

 

 写真は丸ごとトマトのサラダ、的な逸品です。これが食べられるお店、聞いてくだされば教えます。

2021年12月11日

本日、三回目のコロナワクチンを接種しました。現在、二時間程度、経過していますが腕がダルイ程度で目立った副反応は出ていません。これで少し安心できるような気がしています。我が病院では、一回目、二回目のワクチン接種で職員が次々とダウンして業務に支障が出てしまったことを踏まえ、三回目の接種は部署ごとに一日四人までと決められています。何事も経験して改善ですね。

さて、私の年頃になるとつい先の事を忘れてしまうようなことが多々おきます。何かをしなくてはならなかった…ような気がするが、記憶は忘却の彼方で、一時間も後に思い出すなんてことは日常茶飯事です。最近の私は仕事中にやたら付箋を使います。大事なことを忘れても大丈夫なようにです。まったく、一日で何枚の付箋を使うのか、数えられないぐらいです。この物忘れが、ただの“物忘れ”なのか“認知症”なのか見極めることができないのが悩ましいところです。

一定の年齢以上の入院患者さんには認知機能テストが課せられます。まず「桜・猫・電車」を覚えてもらい、続いて様々な質問に答えていただき、最期にもう一度「桜・猫・電車」が言えるか…。これが意外とできません。外科医だった人、会計士だった人、学校の先生だった人、誰でも平等にもれなく記憶力は低下してきます。それが良く分かります。でも、それが年相応の認知力の低下なのか、病気なのか、素人には判らないのが現状です。

認知症の進行を抑える新薬の承認が急がれています。コロナのワクチンや治療薬の開発にばかりスポットが当たりますが、それ以外の病気の研究も応援したい。難病の人達は今も希望を捨てずに新薬の開発を待っています。平等に開発費を補助して欲しいと思います。

 

今年も、叔母からチョコレートが届きました。これが届くともうすぐクリスマス。

2021年12月4日

 来週に三回目のコロナワクチンを接種することが決まっています。三回目の副反応がどんなものか、お知らせ出来たらいいな、と思っています。

 さて、このところ産科病棟へ顔を出すようになり、日本の産科制度に疑問を持つようになりました。出産は医学的に病気ではないので、社会保険が使えません。ところが、早産や帝王切開、前置胎盤であったり、また糖尿病、高血圧等の持病をもっている場合は医療の必要があるので社会保険が適用されます。つまり、入院出産費の三割しか負担しなくても良いのです。さらに助成金などを貰うために、逆に儲かっちゃうことも。

 要するに、問題なく自然に分娩した妊婦さんは、医療費をガンガンに使って出産した妊婦さんに比べて何倍もの出産費を支払うことになるのです。それも何十万という差がでるので、私はビックリ。

 少子化を解消しようと、様々な助成制度、一時金支給制度がありますが、それでも若い夫婦には大きな負担です。「出産費用がこんなにかかるとは知らなかった」とこぼす妊婦さんが何人もいます。

 もちろん、出産に“良い出産”“悪い出産”は有りませんが、医療費を使わず、医者も必要とせず、助産師さんと二人三脚で頑張った妊婦が損である現在の制度は疑問です。

 出産費用の一律化、出来ないものでしょうか?難しいかなぁ?でも、安心して赤ちゃんを産めるようにしてあげないと、子供は増えないと思います。子育ての助成ばかりでなく、そもそもの産むときの助成を根本的に考える必要があると思いますけどね。

 

 写真は超美味しいわらび餅です。北新地の夕方から数時間だけ開店する和菓子屋さんのもの。お土産で貰いました。

2021年11月27日

今年の紅葉は長持ちしている気がします。きれいですね。

さて、中学生が同級生を刺し殺す、というショッキングなニュースに今の子供たちが直面している世界を見たような気がしています。昔の学校生活は、もっと単純な構図で人間関係が作り上げられていたと思います。それが今や、SNSの普及で複雑怪奇に絡み合い、こんがらがった歪な様相を呈し、そんな中で何とか生き抜かねばなりません。まだ、言葉というものを十分に操ることが出来ない子供たちは、辛辣な言葉を使ったり、嘲笑する言葉を安易に使いがちです。それが思いもよらぬ相手の反応を呼ぶ事は、想像に難くありません。

また、面と向かって言われるのと違い、文字にされると残ります。何度も何度も読み返して、怒りを募らせたり、考えすぎることは大人でもあり得ます。その感情を、自分の中で処理できるか、出来ないか…。

とにかく、文字にしてしまうということはそれだけのリスクが伴うと言うことです。このことを私も肝に銘じなければならないと改めて思いました。

  そしてもう一つ、“いじめ”はそこにどんな理由があろうとも“いじめ”たほうが100%悪い。これも肝に銘じなければなりませんね。

2021年11月13日

 急に冷え込み、紅葉が進みますね。秋物の薄手のコートの出番がないまま冬になってしまいました。この頃は、本当に秋と春が短くなりました。

さて、アベノマスクはどこへ行ったのか?最近、大量の未発送の在庫が発見され、そこに莫大な保管料が発生しているというニュースを耳にしましたが、「そう言えば、そんなマスクあったなぁ」というのが本音です。確かに、町を行き交う人の顔にはたいてい不織布マスク、少数派で手作りマスク、オシャレマスクです。ところが、そのアベノマスクですが、病院ではよく見かけます。そう、意外とお年寄りはアベノマスクをご愛用。何度も洗って大切に使っている様子の方もおられます。そうやって利用されているのを見ると、我々の税金も無駄ではなかった、と安心します。

マスクが当たり前。マスクの煩わしさにさすがに慣れてしまった今現在、改めてマスクの効用を考えてしまいます。マスクの効果で、昨年のインフルエンザ患者がゼロだった兵庫県ですが、今年はどうなるでしょうか?一昨日、インフルエンザワクチンを打ちました。皆さんも、コロナと紛らわしいインフルエンザにかからないように、マスクとワクチンで身を守りましょう。

 

緊急事態宣言が解除されて最初に食べたのがラーメンでした。これからの季節はやっぱりラーメンがおいしいですよね。

2021年11月6日

秋晴れの気持ちの良い土曜日です。緊急事態宣言も全面解除となり、町に人が戻ってきました。これまで苦労して来た飲食店を応援しようと、色々と予定を組んでいるところです。

さて、現在勤めている総合病院には、日々百人前後の人が入院し、また退院します。病棟に勤務する関係上、おのずと様々な患者さんと接するのですが、こちらの想定を超える行動に毎日驚くばかりです。

もちろんモンスターペイシェントは論外ですが、そうではなくて自由過ぎる患者さんたちには本当に驚かされます。

誕生日だからと勝手に自分に甘いものを許し、お菓子を食べてしまった糖尿病の女性…、直後に具合が悪くなり発覚。手術のため入院前からあらゆるサプリメントや薬を止められていたのに、なぜかバイアグラを飲んで来てしまった男性…不安になったのか自ら白状し手術は延期に。内視鏡検査のために前日から絶食中、唯一許された水を勝手にオロナミンCと置き換えて飲んできたおじいちゃん…毎朝一本飲むのがルーチンとかで、六時間後に何とか検査実施。末期腎不全で減塩食を供されているご主人へ、こっそり梅干しとゴマ塩ふりかけを差し入れた奥さん…先生から大目玉を喰らいしょんぼり。

皆、病気であろうが、入院中であろうがお構いなし。どこまでも自分を貫く姿勢にもはや感心するしかありません。ああ、人間って強いなぁ、などとしみじみ感じています。

コロナが終息するのか、再燃するのか、まだわからないですが、こういう人達に下支えされて乗り切れそうな気までしてくるこの頃です。

 

写真は差し入れの鯛焼。鯛焼が美味しい時期になりました。

2021年10月23日

爽やかな朝です。最近は本当に春と秋が短くなりました。秋物の服に袖を通さないままなので、服に悪いような気持ちになります。

さて、先日、友人とのLINEで、同僚から「“おばちゃん”と言われて悲しい」という話がありました。スタイルは良く、髪もつやつやの彼女は、世に言う“美魔女”です。本人曰く、せめて30代後半ぐらいに見えていて欲しい、とのことですが「それもおばちゃんじゃないの?」と返すとしばらく返信が来ませんでした…。

さすがに30代の女性をおばさんと呼ぶのはいかがなものか…、という世の中にはなりましたが、50代目前まできて“おばさん“でないのならば何なのか。何か慰めになる上手い別の呼称を自分たちで生み出すしかなさそうです。

男性の”ちょい悪おやじ“的なニュアンスにあたる”美魔女“というのがありますが、あくまでも魔女な訳で、世間の人から見れは”微妙魔女“ということだったりするわけです。そうはいっても同級生の気持ちは分かります。せめて”きれいなおばさん“”かわいいおばさん“ぐらいは目指したいと誰もが思っているはず…。

ただ、常から膝上のスカートを履いたり、腕を丸出しにしたファションを好む友人が、周囲からしてみれば「痛い」…つまり“若作り”が逆に彼女の年齢を際立たせているような気がしないでもない所です。彼女に注進できませんが…。

マスクで年齢不詳の好都合な世の中ですが、マスクの為にどんなオシャレも台無しという不都合もあります。マスクの世の中の是か非、こういう所にもありそうです。

写真は先日見かけた虹です。見えるかな?雨が降ったりやんだりが続くと、虹をよく見かけますね。

来週はお休みします。

2021年10月16日

爽やかで、俳句の秋ですね。明日からはグッと冷え込むとかで、健康に気をつけたいところです。

さて、今、“8050”問題がしきりに言われています。80代の親が50代の子供を年金で養っている、というなんとも壮絶な逆転現象の事ですが、そういう場合ばかりではなく、きちんと定職についているものの独身のままいつまでも親と同居している子供というのもかなりあるのが日本。成人したら、独立して家を出るのが当たり前の欧米と異なるところです。

これが悪いとは言いませんが、最近よく見るのが、40~50代の患者の付き添い、もしくは連帯保証人が老いた親というもの。そしてもちろん医者の説明を聞くのもその老いた親で、足元もおぼつかないうえに、理解力も甚だ怪しいという状況に、こちらは患者のみならず親の心配までしなければなりません。また、杖を突きつつ洗濯物を取りに来る親の姿は壮絶なものがあります。

本来なら、配偶者なり、若い子供なりが担うべき役割を”親“というだけでいつまでも背負わねばならないのは、はっきり言ってかなりしんどい話です。

それにしても、結婚していない妙齢の息子、娘のなんと多い事か、と思わされます。そして子供の居ない夫婦の多さもかなりです。かく言う私にも子供がいませんが、これが健全な世の中とは思えません。この歪な構造の原因は、安心して結婚できない、安心して子供を産めない社会のみならず、まずもって他人と協調して時には我慢をするという行為を“面倒くさい”と思う心理を多くの人が抱いていることにあるように思います。いつまでも親と暮らすのはさぞや居心地の良い事でしょう。でも、親はいつかはいなくなるのです。そこを考えておかねばならないと思います。

 

どうせ〇〇しても仕方がない、そういう空気が溢れている日本、ちょっとパアッと景気のよい話など出て来ませんかねぇ?なんて思っているこのごろです。

2021年10月9日

暑すぎる10月です。とは言え、秋の美味しい果物はお店にズラリと並んで、楽しめますね。前回、「来月はお休みします」と間違えて書いてしまい、スミマセン。「来週」の間違いでした。

さて、病院で働いていて、むくむくと建築士としての意欲湧いて来ることがあります。そういう時は、この経験が将来に役立つと考えるようにしています。

病院には家に帰りたくても、家の構造がネックで自宅退院できない患者さんが沢山います。若い時は自分が年老いることなど考えません。オシャレな家で素敵なライフスタイルを楽しみたいでしょう。でも、その家は終の住処になるでしょうか?

いま、非常に多いのが家の中での転倒による骨折事例です。慣れた家の中でも、体幹をたもてなくなったお年寄りはふらついたり、小さなものに躓いて簡単に転倒します。そして、簡単に骨折します。残念ながら、日本の家には段差が多過ぎます。土足文化の欧米とは作りが異なるのです。自宅で転倒して一年に三度も入院してきた人もいます。そして入院を重ねる度に体力は落ちて行き、ますます転倒のリスクが増すのです。

まず長い入院生活で“階段が登れなくなった”なんてなると玄関までの階段すら障害になります。ましてや三階建ての急な階段は登れません。そういう家に、どうしても帰宅したいという患者さんには、ソーシャルワーカーが「一度家に入ったら、二度と外に出られなくてもいいですか」「二階から二度と降りることができなくても帰りますか」と念を押します。家族の負担も相当なものになります。

“車椅子の生活になる”となると、トイレに手すりは付いているものの車椅子で乗り入れて便座に乗り移るスペースは有りますか?となります。

ましてや今人気のストリップ階段なんてもってのほかです。

 

こういう問題が無視されたまま、新しい家はどんどん建てられ、老いたら住み慣れた我が家を出て老人ホームに移ることを余儀なくされているのです。これだけ高齢化が話題の世の中なのに、なんだかおかしい…。最近、そんなことを考えています。皆さんも、家を建てる時は構造、機能をよぉく考えてから、決めてくださいね。

2021年9月25日

爽やかな朝です。ようやく空気から湿気が抜けたように感じます。

 さて、池袋の自動車暴走事故の刑が確定して日本中の人が安堵しているのではないでしょうか?若い人のあおり運転も大きく注目されていますが、高齢者の運転ミスについては本人の自覚がないのでやりきれない所です。

 ちなみに父は若いころから運転が危うい…。運転する人間から見れば、文句の付け所満載です。ブレーキが遅い、急である…。せっかちで細目に車線変更をする、結局どちらの車線でも変わらない…。他人の運転にはケチをつける…。もし、こういう人の認知機能が低下したら…と考えるだけで恐ろしくなります。そして、例によって本人は“運転が上手い”と思い込んでいるのでつける薬がありません。

 先月、孫に会いに来たおじいさんが、マンションの植え込みに激突してブロックを破損させる事故がありました。原因は、「視野狭窄」。聞くところによれば、池袋の事故もあったので心配した本人が色々検査したところ、認知機能には問題なく、加齢による視界の狭窄で、左右の視界のかなりの部分が欠けていることが判ったそうです。徐々に進行するらしく、本人も違和感を全く感じず来ていたと聞きました。本当に、危ない話です。

 もう、いったいどうすれば“あおり”や”事故“が防げるのでしょうか?それは人間がハンドルを握るのをやめるしかありません。

 現在、5Gから6Gへの研究が進んでいますが、実は将来の完全自動運転化への布石と言われています。分厚いコンクリートさえ通過する強力な電磁波が必要になり、体への影響も心配ですが、自動車の自動運転が早く導入されることを期待しています。交通事故のない世の中なんて、夢のようですね。

 写真は、ミイラ展で手に入れたミイラ巾着。エジプトのミイラだけではなく、こんな可愛らしいミイラもあるのですよ。

 

 来月はお休みします。

2021年9月18日

迷走台風が通過して、今は青空が見えています。こんなに台風の来ない年は珍しいですね。二百十日、という季題がかすみます。

さて、今日は病院での終末期の話をしましょう。職業柄、相当数の死亡診断書を処理します。急性期病院ならではの日常ですが、コロナ禍で面会が制限されている中での看取りは、家族の哀しみに混乱が加わるような気がしています。

看取りにDNARというのがあります。よく医者が「家族からDNARをとった」とカルテにも赤字で明記するこの文言、DO NOT ATTEMPT RESUSCITATION の略で心肺停止状態になったときに心肺蘇生の措置を希望しない、という意味です。医者がこの話を出すのは、無理な蘇生を行っても、本人の苦痛が増すばかりか、その場をしのいでも寿命がさらに短くなってしまうことがあらかじめ予測されている時です。丁寧に説明されることで、ほとんどの家族がDNARに同意されます。

しかしながら、中には何が何でも生きていて欲しい、たとえ植物状態になっても生きていて欲しい、と願う家族もいます。そうなると通称「フルアタック」と言われる人工心肺装着、肋骨が折れるまでの心臓マッサージ、といった選択になります。莫大な財産の相続について遺言書に署名して欲しい、患者の年金が必要、という“あるある”な理由もありますが、以外に多いのが親の死を受け入れられない子です。特に面会が叶わないまま、何もしてあげることが出来ないもどかしさが、DNARを拒否させるようです。「うちの父は頑張り屋なので、きっと復活してくれます」「母に限って急変なんてありません」という娘や息子の気持ちは笑えません。医者は患者の苦痛と、家族の気持ちの板挟みで頭を抱えることになるのです。

ちなみに、家族がDNARを希望しても医者が考え直すように説得することも有ります。「今、具合が悪いのは合併症のためで、これさえ克服すれば元のように元気になれる」という場合です。どちらにしても、医者との説明を良く聞かなければならないということですね。

 

自分の死に方は自分で決めたい、そして網膜でも、腎臓でも、使えるものは使って欲しいと希望している私ですが、未だに家人の理解が得られていないので、今後の課題です。コロナ禍で自分の命が、いつ、何時、危なくなるかわからない中、ちょっと家族で話をしてみるのもいいかもしれません。

2021年9月11日

今日はアメリカの同時多発テロが起きて20年目の日です。当欄には、あまり重たい話を書かないようにしているのですが、今回はちょっとだけ書きます。

暴力に暴力で対抗する構図は、分かりやすい上に簡単ですが、キリが有りません。だからこそ、暴力に無抵抗を貫いたガンジーは稀有な存在で、他に類を見ないリーダーと言われるのです。ただ、暴力に暴力で対抗できる場合はまだましで、一方的に暴力により弾圧される場合は悲惨です。それが、ミャンマーとアフガニスタンです。対外的にかなりオープンな中で新政府を樹立しようとしているタリバンはまだしも、ミャンマーではメディアをシャットアウトし、国民へ銃を向けた政府が樹立されようとしています。各地でジェノサイドを隠すために、軍がデモ隊の死体を運び去ることが続いています。カンボジアの二の舞です。

繰り返される悲劇的な暴力に、アメリカのように直接的な行動がとれない国にはなにができるのでしょうか?ただただ、成り行きを見守るしかないのが現状です。そして、このミャンマーの軍事政権に対していまだに態度を決めかねているのが今の菅政権です。

また、アフガニスタンに置き去りにした政府協力者の問題は、完全に政府の後手による結果で、アフガニスタン情勢の結果ではない、ということを理解しておかなければなりません。何も決められない現菅政権の現状が露になった事例でしょう。コロナの対応にてんてこ舞いだった、というのを言い訳にするのはいかがなものでしょうか?世界中のトップも同じ状況です。

 

新しい総理大臣、新しい政府に嫌でも期待せざるを得ません。外交に強い、物言う政府を期待したい。国内の問題に手一杯、という総理では世界に通用しません。総裁選挙に注目していますが、どうも期待通りの政府樹立は難しそうかな?

2021年9月4日

また長雨です。今回は秋雨というのでしょうが、あっけない夏の幕切れでした。

さて、「あ、なるほどね、道理でね」という事、結構ありませんか?

80代の親の退院に、迎えにやって来たハイヒールの女性は娘さんというには若すぎる。スラリとしていてキビキビしていて、お孫さんの間違いでは?と思っていたら「元劇団四季の団員です」と聞いて納得。駐車場にピカピカなベン〇が五台も並んでいる家の家業は、老舗の薬会社と聞けば、納得。いつもオープンカーに乗っていて、四六時中髪の色が変わる御夫婦は「美容師」と聞いて、やっぱり納得。で、騒音の苦情をいきなり相手に訴えに行き、ぐいぐい持論を展開したご主人が、大学病院の医者と聞き、なんとなく納得。

いい意味でも、悪い意味でも“さもありなん”ということがままあります。

ところが先日、その先入観を覆すことがありました。町内にいつも汚いリアカーを引きながらゴミを集めているおじいさんがいるのですが、失礼な話、ずっと長い間、不審な目で見ていました。浮浪者とまでは言わないですが、うろんな人物として見ていたのです。ところが、実は不動産で成功した会長さんで、半分リタイアしてからは、地元への恩返しのつもりで町中のゴミを拾って歩いていることが判りました。夫婦で一輪車を押すところから始め、こつこつと会社を大きくしたそうで、地元の人は、苦労していた姿も見て来たそうです。「あの家の人よ」と教えてもらったのは立派な日本庭園があるらしき豪邸(塀から松や枝垂れ桜がみえています)で、ゴミを集めている姿と結びつきません。そのギャップに驚きを隠せませんでした。

ゴミを拾ってくれて感謝するならまだしも、冷たい視線を送り続けていた自分がなさけなくなりました。“先入観はよくない”とよく言われますが、その通りで反省しているところです。まだまだ、修業が足りませんね。

写真は現在の私の三種の神器。ワクチンを二回接種していても、感染する事例がちらほら出ているので、気を引き締めて働いています。

 

 

2021年8月22日

毎日、毎日、雨ばかりです。涼しいのはいいけれど、頭に茸が生えそうです。まったく変な天気ですね。

さて、皆さんは10歳のころを覚えていますか?今、病棟に10歳の男の子が入院中です。コロナ禍のため、母親も付き添えず、気丈に一人でがんばっています。でも、病棟の他の患者さんにとってはアイドルですね。色々と大人から相手をしてもらって、元気に過ごしています。そんな彼がご執心なのが恥ずかしながら私です。

毎日、出勤してくる私をエレベーターの前で待ち、ナースステーションの前で待ち、廊下を歩けば車椅子を器用に操り付いて来ます。「これ見て」「あれ見て」と忙しいのですが、またこれがとても可愛らしい。まぁ、「今、来て」など、子供ならではのわがままはかなりのものですが、時には「ずっと居たらいいのに」なんてこちらをドキリとさせてくれることも…一丁前に嫉妬もするので可愛くて仕方が有りません。

十歳の感情は直球です。それを痛いほど受けながら、傷つけないように、若いお姉さんを演じるのに毎日必死になっています。

彼と話すと、忘れていた素直さを思い出します。そして、いつの間にかひねくれてしまった自分に気付かされます。

人の怒りの沸点が下がっている今、改めて、自分自身を見返しています。

 

 

写真は、叔母のお手製バターケーキです。叔母のバターケーキは絶品なことで有名。また、何でも手作り派で、今回は、ブルーベリーとソルダムのジャムも送ってくれました。

2021年8月14日

梅雨に戻ったような毎日です。暑さも嫌ですが、雨も嫌ですね。

さて、この頃しみじみ感じるのは、人の名前の難しさです。小坂とかいて“オサカ”と読ませる人に会いましたが、彼女は開口一番「コサカと呼ばれるのは耐えがたい侮辱と感じます。決して間違えないで」と念押ししました。これまでに幾度となくコサカと呼び続けられた経緯を感じました。

かく言う私は日々「アラヤ」「シンケ」「ニイヤ」と様々に呼ばれ続けています。先日、隣でカルテに入力をしていたドクターがあきれて「シンヤさんでしょ、ちゃんと言った方がいいですよ」言うほどです。間違った呼び方に返事をするのはよくない、とドクターから逆に注意された次第です。

しかしながら、間違えられる都度「いいえシンヤです」と正すのも、三回目を過ぎれば面倒になります。また、先の「オサカ」さんのように耐えがたい不愉快さは感じないので、周囲に呼びたいように読んでもらって現在に至っていました。

名前を呼び間違えることはとても失礼だと、誰もが知っています。また、自分の名前には誇りを持たなければなりません。それに「間違った呼び名で呼び続けていた」と気づいた時、その人はどんな気持ちになるでしょうか。それらを考えると、私は間違えていた、と反省せざるを得ません。目下の悩みは、今更、如何に正しい呼び名を定着させるかです。本当は最初から、間違いを指摘すべきでした。何事も初めが肝心、ということですね。

 

写真は西宮市貝類館のパンフレット。小さな施設ですが、好きです。近くの川にはボラが群れていて、楽しめます。

2021年8月7日

毎日、ボーとする暑さですが、オリンピックのお陰でメリハリの効いた毎日を送れているような気がしています。それにしても、わざわざ北海道に会場を移してたマラソンで、あの暑さなのだから、やはり開催時期を考える必要があるのではないでしょうか?

さて、世の中にはケチっては行けない物が多くあります。料理の塩に始まり、漂白剤の濃度に不祝儀等々…。人によってそれぞれでしょうが、私の中で新たに加わったのがレジ袋です。エコな風潮に真逆な話ですが、エコバッグを忘れたら、「レジ袋を買おうよ」と思うのです。

なぜなら、このごろ散見するのが商品をむき出しで運ぶ人の姿です。スーパーの近所や駐車場内なら驚きませんが、電車の中や道端でその姿を見るとその異様な姿に目が釘付けになります。店側が袋を有料で提供するようになり、うっかりエコバッグを忘れた人がやむにやまれずそうするのでしょう。それはそれで理解はできますが、一個や二個までが限度ではないでしょうか?

先日などは、牛乳パックに卵のパック、食パン、菓子パン、スナック菓子、さらに脇には醤油のボトルを挟んで信号待ちをする女性を見かけました。あれではおそらく家の鍵も開けることができないのでは…などと心配になったほどです。別の日に見かけた人はビニール袋に詰めた肉のパックをいくつも重ね、おそらくキンキンに冷えていただろうビールの缶を抱いて歩いていました。そんな姿を見ると、ここはやはりケチってはいけなかったのでは?と思ってしまうのです。何となく、何もかも剥き出しで、はっきり言えば“みっともない”姿に感じるのです。仮にもし彼女達が“環境問題的に絶対ビニール袋反対”であったとしたら、エコバッグを忘れてはいけなかったのです。

これには賛否両論あるでしょうが、ビニール袋反対派の私は、車にも鞄にもエコバッグを2~3個常備しています。それでも忘れてしまった時は、潔くレジ袋を買うつもりです。

 

写真は蝉の殻です。人通りの多い道端の葉っぱの上で無事に羽化したようで、嬉しくなりました。

2021年7月31日

コロナ禍で強硬開催となっているオリンピックですが、始まってしまえばすっかり夢中です。思っていた以上に大会関係者が多く、無観客の割には声援や拍手が聞こえ、あまり違和感も感じません。

さて、オリンピック開催による海外からの選手や関係者の流入でコロナ感染者が増えてしまう?という懸念があったのですが、実際はもっぱら日本国内の事情により感染者が増えています。もちろん、選手から陽性者が出てはいますが、今の世界事情からすれば陽性者0人という方があり得ない話で、驚くに値しません。

今回の感染増加では、先行してワクチンを接種した高齢者の感染者が格段に少なく、ワクチンの効果が目に見える形で表れています。感染率の高いインド株の蔓延前に高齢者への接種が進んでいて本当に良かったです。このままどんどんワクチンの接種が進むといいのですが…。若い人の中には、「自分は大丈夫」とあえて接種に否定的な人もいるとか、いないとか。

また、ワクチン接種後の、ショックや発熱、倦怠感が心配で接種しないという人も多いようです。でも、コロナに感染して長く辛い思いをするのと、接種後の一時的な辛さとを天秤にかけて再考することをお勧めします。「インフルエンザのワクチンで死にかけたのよ!」という人も是非、再考を。コロナにかかればやはり死にかける可能性があるのですから…。そして、コロナの苦しさとは、陸に居て溺れるような苦しさであることをお忘れなく。

 

私事ですが、五月、七月と纏まった作品を雑誌に掲載していただいたところ、沢山のお手紙を頂き、ありがとうございました。久しぶり近況を知らせてくれる人もいて、嬉しかったです。写真の“須磨海浜ブルー”というインクを使って、必ず全員にお返事します。お返事遅れてすみません。

2012年7月17日

梅雨も明けそうな天気です。オリンピックまであと僅か、部位に終わることを祈ります。

さて、祖父母の生年月日を聞いて「明治?!」「大正!」と騒いでいた私が、逆に若い世代に「平成生まれ?!」と驚くようになって久しいです。最近のショックは、一緒に働いている医者に平成生まれの先生がウヨウヨいることです。今や平成生まれの人たちが世の中の中心となりつつあります。

あくまでも経済や消費を引っ張る中心は昭和世代であって、平成生まれはいつまでもオマケ的に感じていたのですが、世の中ではその勢力が書き換えられているようです。そのうち令和生まれの人達に「昭和生まれ!」と驚かれるようになるのでしょう。

それにしても「明治」と「昭和」は激動の時代でした。その昭和時代を生きて来たことを誇りに思っているのですが、常に不況であった平成、コロナで始まった令和もある意味貴重な時代だと思います。それぞれの世代が、自分の年号、時代を誇りに思うのは当たり前で、そうであって欲しいと思います。

 平成が去り、令和の世となった今、逆に昭和が注目されています。急成長する中で、だれもが努力すれば報われる、という分かりやすい時代でした。そういった底力や華やかな雰囲気に惹かれるのでしょうか?若い人たちは昭和レトロに憧れて、しきりと真似をしています。昭和時代のプリントもののシャツや、厚底靴、スカーフ…そういったものをいてずに居れば良かったなぁ…と思うこの頃です。

令和はオリンピックのあった年となります。オリンピックが盛り上がることを切に願います。

 

写真は頂いたお土産です。ワクチンの接種率もあがり、皆さん、あちこち旅に行かれたようです。来週はお休みします。

2021年7月11日

梅雨の晴れ間です。この隙に、家中の湿気を追い出そうと頑張っています。

さて、ここ兵庫ではもうすぐ知事選挙があります。この選挙につきものなのが、投票依頼の電話です。何十年も音信が途絶えていた知人や、ほぼ知らない親戚から、特定の候補者への投票依頼が来たことはありませんか?この手の依頼は、話したこともなかった同級生であることが多く、遥か昔の記憶を手繰り寄せようにも、もはや本当に同級生であったのかも怪しい状況に受け手は戸惑います。ただ相手が「〇〇高校で同じクラスだった」などと断言して名乗るので、何となくそんな気にはなりますが、当然お互いに「久しぶり、元気?」とは言い難く、こちらが逡巡しているうちに相手は時候の挨拶もそこそこに「〇〇さんに投票して欲しい」と一方的に喋るのです。ここで議論をしても仕方が無いので、たいていの人が「はい判りました」と承諾し、アッサリ電話が切れるのが常です。相手は無事にミッションを果たしてスッキリし、対してこちらにはモヤモヤが残ると言う不条理。

そんな電話連絡も、時代はショートメールに取って代わられたようです。で、今回知人の元に届いたのが「あなたとは絶縁しましたが」から始まる文面の投票依頼。そう、選挙依頼とは、羞恥心をも超越する情熱を持つ人がやってしまうものなのです。まさか、電話やメールの一本で、本当に一票を獲得できるとは思っていないでしょうが、絶縁した相手にまでも連絡をとらせてしまう、何か特別な意志の力が働くのでしょう。

選挙に行かない人がいる一方で、こういう濃い人がいる…投票日が楽しみになります。

 

写真は釜揚げしらすです。ドドーンと五箱もいただきました。ご近所に配ったのちに、贅沢にシラス丼を堪能しました。

2021年7月3日

蝉が鳴き出しました。じめじめする中で、蝉の声を聞くと梅雨の終りが見えてきたようなきがします。

さて、先日も書きましたが、膝を痛めてからというものエスカレーターやエレベーターを使うように努めています。このエスカレーターで歩いていては意味が無いのでボーと立っている訳ですが、その横をどんどん人が歩いて行ってしまいます。何だか立っている自分が、迷惑をかけているような心もとない気持ちになる毎日です。

実は、膝を痛めるまではエスカレーターをずんずん登ってゆく側だったのですが、最近は歩かずに立って乗るように呼び掛けられていて、ポスターなども貼ってあります。確かに、危ない行為だと言われればその通りですが、常に急いでいる日本人としてはボーと立っていることを良しとしない人が多いような気がします。どうしたら誰もがエスカレーターを立って利用するのか、アレコレ考えてみるのですが一向に思い浮かばず、悶々としていたところ、ある話を耳にしました。

香港では、エスカレーターで歩く人がいないというのです。朝晩のラッシュ時でも両側にきちんと並んで立っているそうです。その理由はスピード。エスカレーターの進行速度が速いのだそうだ。だから乗っている人が歩かない。なるほど!その手があったか!と思ったものの考えました。載る時、降りる時、危険じゃないのか?香港では問題は起きていないのだろうか?今、それが知りたくて悶々としています。

 

写真は明石の老舗の最中です。雨の日はお家でゆっくりお茶が飲めます。

2021年6月19日

 周囲でワクチンを接種した、という人が増えてきました。どんどん増えるといいですね。生活に安心感が生まれますよね。

さて、リモートという言葉がすっかり定着した感じがありますが、コロナ騒動が収まっても、在宅で足りる仕事は“今後も在宅で”という傾向があるとか。そんな中、知人が在宅勤務中の娘さんから孫を預かったところ、しばらく寝込むほど疲弊してしまいました。曰く「これからは23時間程度ならいいけど、それ以上はもう無理」との事。よほど大変だったようです。

思い返せば、子供の頃、親抜きでよく祖父母の家に泊まりに行ったものです。祖父母からも「泊まりに来ないで」と言われたことも無いし、逆におじいちゃんおばあちゃん孝行になっている感じさえしていたものです。

では当時の祖父母が、今のおじいちゃんおばあちゃん世代よりも体力がずば抜けていたのでしょうか?いやいや、確かに高齢出産の増加により孫を預かる側の祖父母世代の年齢は10歳程度プラスされている訳ですが、逆にそれ以上に彼らの肉体の若々しさはUPしているはずです。スポーツや趣味に勤しむ若々しいシニアの姿をあちこちで目にしますし、“いつまでも現役”なんてフレーズも良く聞きます。では何が違うのか?

考えるに、孫愛と自分自身への愛を天秤にかける時代になって来ているのではないか?ということです。自分の体のために無理をしない…、つまり孫よりも自分の体、という構図が浮かび上がります。趣味のために無理はしても、孫のための無理はできない…。

孫は目に入れても痛くない…いまやそれも23時間限定となりつつあるようです。

 

来週はお休みします。

2021年6月12日

梅雨らしい天気です。どんより、じめじめしています。紫陽花が街に色を添えていますね。 

さて、先日の新聞に「85歳の妻は髪も真っ黒で、いまも若々しい」という投書が乗っているのをみて、思わずニヤリとしてしまいました。

 

入院あるあるの一つに、この黒髪問題があります。入院が長引くと、どうしても髪が伸びてきます。金髪のお兄ちゃんもプリンのような色になりますし。茶髪の女の子も真っ黒な髪がてっぺんに現れてきます。もちろん白髪も出現しますし、染めた部分が脱色してきます。つやつやの黒髪だった妻や、母が実は白髪であるという事実に驚く夫や、息子は多いのです。

髪は女の命、と言いますが、夫や息子に気付かれないよう、絶妙なタイミングで白髪を染め続けている女性たちの苦労を思うと頭が下がります。中には、家族に白髪を見られて「いっそ、気が楽になったわ」という人も居て、いかに手間のかかることなのか、と思わされます。そんな女心の表れでしょうか、病院内の美容室はたいてい“毛染めが上手い”そうです。闘病中に現れた生え際の白髪を、退院前にきれいに染め直す奥様達が殺到するのです。なんだか泣ける話です。

そのうち私も白髪を染める日が来るのでしょうが、一度染め始めてしまうと、その辞め時が難しそうで、躊躇しています。

もちろん、高齢になろうとも、黒髪を誇る人が居るのでしょうが、残念ながら私はいまだに出会ったことがありません。

 

叔母のバジルペースト、今年も無事に届きました。贅沢に使います。

2021年5月29日

またも緊急事態宣言の延長です。医療機関で働く身としては、「延長ごもっとも」というところです。

さて、イギリス型変異種よりもさらにパワーアップしたインド型変異種が流行の兆しを見せていますが、恐ろしい事です。先のイギリス型が、あっと言う間に広がったのを考えると、今後の展開が予想されます。

これまでも感染予防に努めていたのに、これ以上何をすれば良いのか…?ということで、今、盛んに言われているのがマスクの素材による感染リスク増減です。

ウレタン製マスクは快適だが、効果は薄く、やはり不織布タイプが一番であるというのが専らの評です。つまり、マスクの素材によってはウイルスが布目をすり抜けて口に入ってしまうという話です。苦しいマスク程、効果あり、ですね。

ただ、不織布マスクなら本当に安心?なのか、というと少々疑問が湧きます。写真は、毎日職場で支給されるマスクです。ご覧のように不織布の厚さが全く異なるこの二枚はメーカーが異なります。ところが、双方ともメーカーが謳っている効果は同じだから驚きます。怪し過ぎる…。ちなみに中国製。

それでも不織布マスクの効能を物理的に証明されたのだから、これからは不織布マスクを身に着けたい。美しいレースでマスクを手作りしている人、麻布で作ってみた人、さまざまでしょうが、公共の場所、公共の乗り物に乗る際は不織布マスクをつけていただきたい。コロナにかからないためだけでなく、他人にうつさないためにも。

イギリス型やインド型といった変異種の感染力は非常に強く、目の粘膜からも簡単に感染してしまうと言われています。現在、私はアイシールド装着で働いていますが、これがマスク以上に暑い。でも、これも致し方無いことです。自分が大事ですからね。

 

来週はお休みします。

2021年5月22日

まさかの梅雨入り。そして、本日もどんよりしています。

さて、リタイアしたら“畳生活”が理想、というのが一昔前までのスタンダードでした。かく言う我が家でも、老いた親を迎える部屋として畳の部屋を設けています。ですが、寿命が20年近く伸びてしまった現在、老いたら“椅子とベッドの生活”というのがスタンダードに。何故ならば、加齢とともに、関節という関節がきしみ始めるからです。

なぜ、急にそんな話になるのかと言えば、膝を痛めたからです。

病院のエレベーターはとにかくノロい。ゆっくり開いてゆっくり閉まる、その乗り降りにストレッチャーや車椅子、松葉杖が加われば、さらに時間を食います。そのため、4階や5階程度ならいきおい階段を利用したほうがずっと早い計算になります。そして気の短い私は専ら階段を利用して来たのですが、これがてきめん膝に来たのです。まぁ、一日に10往復以上を繰り返すのですから、当たり前の結果と言えばそうですが、これがまた辛いのです。そして、痛い痛いと思っていたら、正座も出来なくなりました。これが大変なことで、職場のトイレの2/3が和式なのです(患者さん用は100%洋式化されています)。不幸です。 

お陰で“膝が悪い”というお年寄りに寄り添えるようになった訳ですが、これがなかなか手強い。聞き足側の膝が痛くなり、治ったと思えば反対側の膝が痛くなる、この繰り返しで、スッキリ治る兆しがありません。そのため、もう長い間、床から遠く離れた空間でしか生活していません。床に膝をつくなどはもっての外。きっとお年寄りも同じはず。畳生活なんてありえないのでした。

目下、関節に効くというサプリメントを飲み、鎮痛剤を塗りつつ凌いでいます。それでも、ついつい階段を利用してしまうイラチな私、いつか膝に水が溜まる気がします。

膝は大事、皆さんもお気をつけあれ。

 

写真は、頂き物のバスソルトです。大事に取って置いて、先日、ゆっくりバスタイムを楽しませていただきました。

2021年5月8日

句友から、桜の花の塩漬けが送られてきました。封を切れば、桜餠の香りがして幸せな気分になりました。そして、ちょっぴり塩味の桜茶は、何だか丁寧な時間を生み出してくれました。

このコロナ禍、しみじみ思うのは句友というありがたい存在です。もう一年以上も顔を合わせていない面々が多い中、日々の些細な発見や、驚きを葉書や手紙で知らせてくれる人がいる。四季折々の収穫を送って届けてくれる人がいる。写真を送ってくれる人がいる。ありがたい事です。そのおかげで、「忘れられていない自分」を再確認できています。

この人恋しい時間を、いつまで待てばいいのでしょうか?先の目途が付いていないと、疲労感が募ります。私も少々疲れ気味です。かつてイベントか何かのように感染予防対策に挑戦していた時と違い、慣れによる気の緩みも感じています。

ニュースなどで「身近な人の中にコロナに感染した人がいないから、ピンとこない」と答えている人を散見します。でも、職業的に私は知っています。すぐそこに、同じマンション内に、同じスーパーを利用している人に、同じ町内に、感染者はいるのです。まさか、「私は感染していました」「家族に感染者がいます」などと自分から公表してくれる人がいると思っていますか?

自分の身を守るのはもちろん自分ですが、家族の命を守るのも自分なのだということをもう一度、考えないといけません。なつかしい句友に再会する日まで、元気でいなければ、次さえやって来ないので、外出自粛を続けます。皆さんもね。

 

来週はお休みします。

2021年5月2日

躑躅がきれいですね。鯉幟も元気に泳いでいます。こんな時は、ドライブに行きたくなりますが、どこもかしこも駐車場が閉鎖されているので、自動的に外出自粛になっています。

我が家のお向かいのマンションのテラスでバーベキューが始まれば、夏だなぁ、と思うのがいつもの光景でした。いつも長いテーブルが用意されて、二十人ぐらいが集まって賑やかに行われるのが常で、そこで焼かれる肉がまた良い肉で、物凄く良い匂いがするのです。テラスをぐるりと取り囲むすりガラス越しに見えるだけですが、夏中、頻繁に行われるそれは、ちょっと華やかな世界を垣間見るような、羨ましい気分にさせられていました。

ところが、去年も今年も、ご主人らしき人が、ゴルフの試し打ちをやったり、息子さんとキャッチボールをする姿が見えるばかりで、寂しい限りです。緊急事態宣言の影響ですね。自粛を守っている人も、守らない人も、それなりに影響を受けている宣言下です。 

それにしてもワクチンの接種がすすみません。せっかくモデルナ製のワクチンが入って来たのに、国の承認が下りるのはまだ先という話に驚きます。今回の政府はどうもゆっくりで、メリハリにも欠けているような気がしています。メッセージ性も低く、緩んだ民心を再度引き締めるまでには至っていません。この宣言下、沖縄旅行を楽しむ東京、大阪の人数が去年の1.5倍という数字に、驚きます。二週間後の沖縄の感染者数が気になります。また、オリンピックもどうなるのか、本当に心配です。モヤモヤするばかりです。

そうは言っても、この局面を乗り越えねば前に進めない訳で、誰もが逃げることのできないレースというのが現実です。この連休の自粛の効果が出るのが月末あたりです。数字に一喜一憂する日々から解放されるのを、待っています。

 

写真は筍御飯です。今度は弟から筍が届きました。弟の友人の山はタケノコ山。例年、仲間と集まり夜中に掘るのが弟のスタイルで、刺身としても食べることが出来る筍が届きます。

2021年4月24日

遂に緊急事態宣言が出ましたが、周囲では納得の声が多く、粛々と受け入れています。宣言の効果が表れるといいのですが…。ワクチンの接種が進むのも待たれますよね。ちなみに、コロナワクチンの話を書いたところ、「どういう身分で受けることができたの?」とよく聞かれるようになりましたが、現在、医療従事者であります。

さて、病院という場所には全く色が無い、と言っていいくらい緑や黄色やピンクといった花や植物の色に欠けています。お見舞いに花束を持ってゆく姿がドラマなどでよく見られますが、実際には生花は禁止。土や草花に付いて来る虫などが嫌われるのかな?などと勝手に想像していますが、私の職場では観葉植物すら置いていないので、殺風景なことこの上ない。この際、造花でも構わないので置いてみたら“癒し”になるのに…なんて思っています。

そんな職場の環境にストレスを感じているので、外出自主中の癒しに観葉植物に挑戦しようか…と考え中。サボテンすら枯らす性分なので、なるべく枯れない種類を選ぼうと思っています。かつての上司に、どんなに弱った植物でも蘇らせてしまう不思議な能力を持った人がいました。あちこちの課から咲かなくなった蘭や、茶色くなったベンジャミン、バラ等が運ばれてきて、彼の後ろの出窓には様々な鉢がずらり置いてあったのを思い出します。特になにをしている訳でもないのに、みるみる元気になって、元の持ち主に引き取られて行く鉢をみて、誰もが感心したものです。彼みたいな人のことを「緑の手」を持つ、というそう。植物にとっての癒し?の存在なのかもしれません。私も、今回は枯らすこと無いよう、かわいがるつもりです。

 

写真は頂いた筍です。ちょっと時期的に遅かったので成長し過ぎていました。旬というものは短いですね。少しでも逃すと、こうなっちゃいますね。

2021年4月10日

桜が散ってしまいましたね。コロナの変異種が猛威を振るっている中、ついにコロナワクチンの二回目を接種しました。ニュースでも取り上げられていますが、二回目接種後の副反応発現率は高く、職場では結構な数の職員が翌日に欠勤する事態になっています。そんな状況に慌てたのか、「不安な職員は、二回目のワクチン接種前にあらかじめ痛み止めや解熱剤を飲んで構わない、むしろ飲んでおくように」とのお達しが出されたほどです。

妙な自信で何もせずにいた友人は、一晩中悪寒に震えて大変だったと言います。手や足先は氷のように冷たく、熱も37.5℃前後しかないのにガタガタと震えが止まらなかったそうです。ちなみに、彼女と私は同年代です。で、小心者の私はというと、就寝前にしっかり解熱鎮痛剤を服用し、何事もなくぐっすり眠ることが出来ました。が、翌日の10時頃から異様な肩こり、発熱、接種したほうの腕の脇のリンパの腫れが起こり、慌てて薬を再度服用したのですが、倦怠感がひどく、まいりました。接種して二日目の今は接種部位が腫れあがっています。

逆に、接種前から薬を服用し、就寝前、翌日の朝、昼食時、と服用し続けている友人も、薬の辞め時が判らず、困惑していました。

とは言え、二回目の接種後に具合が悪くなるのがトレンドになってしまい、何も起こらなかった人は、「私は水を打たれたのかしら?」と別の不安が付きまとう妙な具合になっています。

ちなみに、今回のコロナワクチンはインフルエンザのワクチンとは違い、かなり肩に近い部位にブスッと注射されます。筋肉がより多い部分を選んでいるからでしょうか?接種後は決して揉んだり押したりしないように注意されます。そろそろ、接種の始まる自治体が出てくる様子。皆さんより少し早く接種した経験談で、不安が解消されたら幸いです。

 

来週はお休みします。

2021年4月3日

どんより天気です。黄砂もあり、せっかくの週末が残念な気持ちになります。

さて、友人から大量のクレソンが届いたので、クレソンと牛肉のしゃぶしゃぶにしたのですが、そのクレソンの隅に隠れるように土筆の佃煮の小瓶が入っていて嬉しくなりました。

春は本当に旬の食べ物に恵まれています。豆御飯を炊けば美しい春の緑に。菜の花の芥子和えはもう定番中の定番ですが、私はペペロンチーノに入れるのも好き。若布をサッと茹でれば美しい緑に。酢味噌で食べれば春の海を感じます。生のヒジキは乾物とは雲泥の差の煮物になります。そら豆を鞘ごと焦げるほど炙ればホクホクの甘さに。新玉葱もしばらく空気にさらせば苦みも消えて甘みが増します。浅蜊も、筍も、独活も…なんて上げていればキリがなく、あれも食べなくては、これも食べておかなくては焦るほどです。旬が短いからこその楽しみです。

残念なことに、神戸の春の名物であるイカナゴは去年の三倍の値が付くなど、庶民の味ではなくなってしまったのですが、あの甘辛い醤油の匂いが町中に漂う様子を是非皆さんにも体験して欲しいです。

 

そろそろ春から夏になりそうな雰囲気です。残り少ない春を惜しみつつ、夏の美味しいものを楽しみにしています。

2021年3月21日

櫻が咲き始めましたね。

 コロナの緊急事態宣言も、関西では解除されました。そんな中で、ついにコロナワクチンを接種しました。インフルエンザの予防接種よりも、針が細いのか、注射自体は痛くありません。接種後の副反応も恐れていたほどではなく、半日程度、腕がだるかったのと、翌日の接種部位周辺の痛みぐらいでした。一緒に受けた女の子は、夜から腕の痛みがひどくなり、翌日は手が上がらない程でした。聞けば、若い人ほど反応が出やすいとの事。もはや若くない私は、症状が軽くて済んだという所でしょうか?それはそれで、まぁ幸いでした。

 さて、これで二回目を接種すれば、万全かと言えば、そうではないのが悩ましいところです。現在、兵庫県では変異種であるイギリス型のコロナが流行中で、まだまだ油断は許さない状況。変異種にワクチンが効くのかも不明だそうです。

 オリンピックの開催もじわじわと迫っています。感染第四波と重なったら?どうするのだろう?など心配になりますが、いち早くワクチンの接種を開始し、広く接種が進んでいるイギリスでは、確実に感染が抑えられ、効果が出て来ていると言います。

 皆にワクチンが行き渡るのはいつになるのでしょうか?気になりますね。

 写真は高菜漬です。懐かしい九州の味です。たまに、無性にたべたくなります。

 

 来週はお休みします。

2021年3月13日

雨は上がり青空が見えています。木に花が咲き出して、春らしくなってきました。

さて、東北の震災の時に感じた衝撃を思い出さなければ…、忘れずに脳裏に刻まなければ…、と思っている時、ある本でマハトマ・ガンジーの「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」という言葉を知りました。“今”を大事に、そしてたゆまぬ努力をし続けよ、ということですが、そういう感情をすっかり忘れていたことに気付きました。後悔の無い日々を過ごしなさい。そして、今ある地に安住してはいけない。変化していかなければならない。そんな意味が込められていると思いますが、胸にストンと届きました。

たとえ明日、死んでしまっても悔いはない…そんな人生を送れている人がはたしてどれ程いるのでしょうか?非常に難しい事です。

食べたいものはまだまだあるし、行きたいところも、会いたい人も沢山います。面倒がらずに自分が行動を起こしさえすれば、どれも叶えられることばかりなのに、日々の事柄に流されてついつい後回しにしています。忙しさを言い訳にしているのです。でも、楽して得られることは無し。ちょっと反省して、明日は重い腰を上げて、前から行きたいと思っていた“レンゲが立つほど濃いラーメン”を食べに行こうと思っています。まずは身近な一歩から。

 

写真は巨大杏仁豆腐です。最近はまっています。

2021年2月28日

暖かくなってきた証拠に花粉が盛大に飛んでいます。いくらマスクをしていても、こればっかりは防げませんね。

さて、コロナウイルスが本格的に猛威を振るい始めて、一年が経ちました。巣ごもり生活の影響で、通信販売が盛況と言われましたが、私は購買欲が著しく低下して、欲しいものが見つからない日々を送ってきました。洋服も、仕事で必要なスーツを買ったぐらい。マスク生活のために化粧はしないので化粧品も買いません。新しい靴も、履いていくところが無いので必要なし。なんとも覇気のない生活です。

 さらに、一つ使えば、一つ買い足すというサイクルも「何もタオルが棚一杯に入っていなくても、大丈夫」「石鹸のストックが五つを切っても大丈夫」「歯磨き粉があと二本でも、たちまち困りはしない」ということに気づいてしまったのです。

 また、私には“何でも捨てる”癖があるので、目に付いた不要なものを手あたり次第に捨ててしまい、タンスはスカスカ、鏡台の引き出しもガラガラ状態に。かろうじて、靴だけは捨てることが出来ず、下駄箱の上から下まで充実のラインナップを保っていますが、少々古くなった靴クリームや、ちびたブラシ、置き傘もごっそり処分したために全体的にスッキリ。

 このコロナ禍で“必要なもの”の固定観念が少し変わったことを実感しています。色々気づかされたコロナウイルスですが、まだまだ付き合いは続きそうです。もう少し、用心を続けましょう。

 写真は近江ちゃんぽん、美味しいものを食べる欲求だけは衰えていません。

 

 来週はお休みします。

2021年2月20日

 すっかり春らしい天気です。春一番が吹いた地方もあるとか?

さて、マスクのお陰で、この冬は風邪を引くこともありませんでした。インフルエンザの流行もなかったし、コロナのお陰で、マスクの効用が証明されました。ただし、これから気温が上がって来ても、誰もがこのままマスクを着用し続けることが出来るのか、気になるところです。

すっかりマスクが当たり前の世の中になっているわけですが、コロナウイルス飛来以降に出会った人とは、飲食を共にしないかぎり、お互い素顔を見せないまま時間が経過しています。これが意外と厄介で、年上と年下にたいして言葉遣いを変えねばならない社会人にとって、致命的な失敗を生む原因になったりします。

たとえば、職場で三十代後半だろうと勝手に思い込み、先輩風ふかして話していた相手が、ふとした拍子にマスクを外したらなんと自分よりかなり年上らしいと気づいたときの“やらかした”感は半端有りません。その反対もまた然り。今更、急に言葉遣いを変えるのも甚だ不自然で、私は晴れてマスクが不要になる日を恐れています。

はたして、ワクチンが行きわたれば、マスクが不要の世の中が来るのでしょうか?最近はそれが気になっています。皆さんは、マスクを外せますか?

写真は我が家のスッパイ蜜柑ちゃん。収穫しました。

2021年2月6日

 日差しはすっかり春ですね。梅の花もちらほら見かけるようになりました。蠟梅が咲いたら、そろそろ梅だろう、と思っていましたが、やはり見つけると嬉しくなります。

さて、若い頃は、なんでもかんでも、初めて経験することばかりなので、感覚的に時間が早く過ぎる、と言われます。ところが、ある程度するべき経験をしてしまうと途端に世の中は新鮮味を失い、時間がまったりと流れるようになります。

真夜中に奇声をあげながら道路を疾走する若者がいても、驚かなくなったころ、人は一段階別の次元に入るのです。まぁ、仕事に追われてバタバタ毎日を過ごし、あっという間に一週間が過ぎる、なんていうパターンもありますが、それはまた別の話。 

 私もここ何年かまったりとしていましたが、最近、何となく、そのまったり感に動きが感じられるような…。

たとえば、老眼。目がかすむ、ピントが合わない、という未経験の戸惑い。風邪を引いてもなかなか回復しない、という初めての感覚。湿布ではおさまらない膝の痛み…。つまり老化に対する”初めて“の体験に驚く日々が幕開けたのです。よく考えてみれば、子供が大人になるように、老化もどんどん進むのです。

ここに来て、再びの別次元への移行です。次なる未知との出会いに期待と不安を感じつつ、これは進化なのか?退化なのか?と考えるのでした。

 

来週はお休みします。写真は初めての老眼鏡です。

2021年1月31日

寒いです。節分寒波ですね。

 さて、最近、毎日お弁当を持って出勤しているのですが、周囲を見れば、昨今のお弁当事情が見えてきます。

まず、学生とは違うからでしょうか?案外のこと、弁当箱を使っている人はほとんどおらず、ジップロックのタッパーウェアが主流。汁漏れの心配をする必要は、全くなくなっているようです。一品ずつ、小さなタッパーに詰めて、複数持ってきている人や、カレーライスをドーンと入れていたり、具沢山スープを入れている強者もいます。

昔は、どこかに必ず米が入っていたものですが、まるまんまミートソーススパゲティだったり、野菜だけだったり、おでんだったりと米の姿はほとんど見られず。それどころか、とにかく箸の人が少ない。スプーン持参の人が目立ちます。

 また、毎日ちくわを袋ごと持ってきて、一袋四本か五本を黙々と食べている人も居ます。もはや弁当ですらない。“ちくわの人”と陰で呼ばれています。ちなみに私は“新聞の人”。新聞を読みながら弁当を使っているので目立つらしいです。

 

 たまたま、高校の同窓会誌の特集が弁当だったので、当時を思い返してみたのですが、汁漏れ事件や片寄り事故が懐かしく蘇ります。結構な確率でプチトマトが入っていたのも良い思い出です。実はぬるいプチトマトはあまりおいしくないのですが、不思議と兄弟の誰もが文句をつけることなかったように思います。きっと、弁当の中身よりもっと話すこと、関心のある事が沢山あったのでしょう。ね。

2021年1月23日

 おはようございます。冷たい雨が降っています。大寒も過ぎて、日が長くなってきました。

  さて、ついに職場にて、コロナワクチン接種の希望調査がありました。誰もが「受けます」と直ちに回答できない中、回答期限はたったの一日。結果、受ける・考え中・受けない、の三択のところ、ほとんどの人が「考え中」にしたのでした。

 調査書には何枚もの資料が添付されていて、副作用についても詳しく書かれていました。私見ですが、副作用の発現率が思いのほか高い、と感じざるを得ませんでした。

 今回のワクチンは、「A社のワクチンを打ったけど、B社のワクチンの方が効くみたいだかワクチンもB社のも打っておこう」なんてことが許されません。マイナンバーで厳しく管理されるので、国民の接種がいきわたるまで、同じ人物が何度もワクチンを受けることが出来ないのです。

 先の調査で接種を希望すれば、自動的にファイザー製のワクチンになるのですが、それが正解なのか…たとえば、効き目は他と比べて遜色ないのか、副作用が一番低いのか、等々の不安が沸き起こります。

 ワンチャンス、という究極の選択。次の希望調査までに返事を決めなくてはなりません。しばらく悩みそうです。

 写真は我が家のみかんちゃん。去年、台風が一度も来なかったので、実が落ちずに豊作です。

 

 

2021年1月9日

ものずごい冷え込みです。神戸でも昨日は少し吹雪ました。こんなに寒いのは何年ぶりでしょうか?

さて、世の中には思い込みの激しい人と、そうでない人が存在しますが、比較的私は激しいタイプです。思い込み=勘違い、とも言い換えることができますが、この“勘違い”とは恐ろしいもので、これが時には大恥をかく元凶となるのであなどれません。

先日、職場の機械の調子が悪くなったので先輩に助言を求めましたところ「ジョーカンさんに連絡してください。内線番号○○です」との事。早速、くだんの番号へ連絡して「ジョーカンさんをお願いします」とやってしまった私です。間髪を容れず相手から「はい、情報管理室ですが?」と返されてようやくピンと来た訳ですが、大恥をかきました。

情報管理室、いわゆる情管、でジョーカンなわけですが、ここに関西弁の絶妙なイントネーションも加わって人の名前に聞こえてしまった私です。この勘違いを露ほども疑わなかったために大声で話してしまい、周囲を含めて恥をかいたしだいです。

それにしても「情報管理室」と教えてくれたら無かった勘違いで、ある意味残念な先輩とも言えないでもありません。とは言え、やってしまったのはあくまでも私なので、後の祭りなのでありました。

勘違いをそのまま行動に移してしまうと、この様に悲惨な結果につながります。前回の緊急事態宣言の時は、トイレットペーパーが足りなくなる、という思い込みからトイレットペーパーの争奪戦が起きたのですが、今回はそんなバカなことが起きないことを祈ります。

トイレットペーパーやティッシュペーパーの欠品よりも、会食による感染の方がよほど重要な問題です。感染しても、入る病棟が無かったら?自宅待機中に容態が悪化したら?答えは誰にもどうしようもありません。そんなことにならないためにも、自分の身は自分で守る!皆で、頑張りましょう。

写真は最近お世話になっているチューブ系のグッズです。膝の痛みやら、乾燥肌やら、辛いお年頃に悩まされています。

来週はお休みします。更新が無いからと、心配しないでくださいませ。

 

 

2021年1月2日

明けましておめでとうございます。

 真面目に初詣を我慢している正月ですが、やはり何かスッキリしない気持ちがしています。正月三日間の食事の計画は万全を期しており、手を変え品を変え着々と消化していっていますが、せっかくのイクラも饅頭もケーキもどことなく盛り上がらないままです。本日は二日ですし、夕方からこっそり静かに詣でるつもりです。

 さて、今年はいったいどういう世の中になっていくのでしょうか?

 もし、マスクが標準化したら、それはそれで楽なようで、でも健全でもない。誰もが素顔を隠して生きることができる世界はやっぱり異常です。

 こうなるとやはりウイルス自身の自滅か、ワクチンに期待が高まるのですが、そのワクチンがどうも心もとない。効くのか、効かないのか?何よりも、接種することすら躊躇する状況なんて、おかしい。

 何かはっきりと信用できるものが欲しい、というのが誰もの思いではないでしょうか?

 「これだけは間違いない」「これだけは信じていい」という明確な姿勢を求めているのですが、誰に?と言えば、それはもちろん政府でしょう。

 オリンピックも控えています。

 とにかく、良い年になりますように!と切に願う年明けです。

 

 今年もよろしくお願いします。